汚いツバのカタマリ

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汚いツバのカタマリ

毎日、ぺったり子供たちと接したくて、周辺をうろうろしている、とのこと。

実際にその場にいて見ていないので、なんとも言えないが、
定年を過ぎた独居やもめ男性が、自宅に閉じこもるのもヘキヘキし、外に飛び出す。
自分の孫と同世代の、かわいい年頃の子供たちと接したい。
それだけの思いだとすると、なんて、かわいそうなことだろう。

趣味でもあれば、毎日、趣味を楽しむのもひとつの方法。
(大してお金のかからない方法で、趣味を見つけることもできる。
趣味を通しての人付き合いも生まれる)
だが、その男性は、おそらく、趣味や、家族はもちろんのこと、友人たちとの交流がないのだろう。
で、自宅近隣の子供たちと遊ぶことが、楽しみ、あるいは、暇つぶし。
1日のルーティンワーク。

しかし、ママたちには、そんな嫌な目で見られているとは、およそ思っていないと推測する。


会話するにも至近距離すぎて、口が臭くて、唾が飛ぶのがゾッとする、とのこと。
これ、ひょっとしてわたしも、人にそんな思いをされているとも限らない。
フランス語のテキストを机に広げて、ラmask house 面膜ジオの流れにそって、テキスト真上から10~15センチぐらいのところで発音していると、
テキストに、小さな小さな水滴(霧に近い?)のようなものが、ぴっぴっと付くことがある。
(すぐ、乾いて見えなくなるが)
これって、いわゆる唾(ツバ)?

多かれ少なかれ、人は発音すると、ツバが飛ぶ。
これを不快と感じるか、ツバの存在自体に気が付かないか、相手との距離に関係する。
その人物とのお付き合いの距離、こころの距離。

自分の生活空間を圧迫する人に対しては、不快感を募らせていくのだろう。
目に見えない、感じることのできない、小さな小さな霧状のものでも、
大きな大粒の、思わず避けたくなるほどの、に感じるのだろう。


人のいい、さびしい熟年おじさんが、こうも嫌われる図は、憐れでしかたがない。


・・・

昨日のわたしの記事、ひとり残った老人の話。
彼の捉え方も、見方によっては、まったく違う。

一人気楽に、文句ばかりのうるさい女房もいなくて、好きにできる。
なんだって、しようと思えばできる。
一人暮らしの気楽さ。(ただし、病身でなければ)
場合によっては、今から結婚だってできる。

なにも子供を残さなくても、家族や子供にかける、その分のエネルギー、時間、お金を、自分の好きに使うことができる。
自由に好きなことに、使うことができる。
かなりのことが、できるだろう。
(家族や子供への労力、出費は、それぐらい大変なウエイトを占める)
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