なスゴイところであって
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なスゴイところであって
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で、わたしは、どうしても、親のことを書きたいわけだが、
親がいる反面、自分も親である。
自分の親を悪く言うとする品牌維護管理と、じゃあ、自分はどうなの?となり、
あ、わたしのほうが、もっとダメだ、なんてことになる。
非難をするつもりが、刃がブーメランになって、自分に跳ね返ってくる。
やぶへび。
人に厳しく、自分に厳しく。あるいは、人に甘く、自分に甘く。
一方だけを良く言ったり、悪く言ったり、できない。
セットになっている。
あんなに嫌な親だったから、自分は、反面教師として学習し、良い親になる。
それはそれで素晴らしい。
あんなに最低の親に育てられたんだから、いい人間に育たなかった自分が、良い子育てができるわけがない。
だから、悪い親になっていても、当たり前だ。自分の親が悪い。
そういう考え方もできる。
人それぞれ、考え方、生き方、方向性は、個人の資質によるのでは?
親子は、だいたい似たような路線を踏襲するだろう。
遺伝子や環境が同じようなものだから、そうそう、大きく変わることはないと思われる。
(ただし、時代の変化によって、どこの誰でもが、ライフスタイルや考え方など、変化している)
あるいは、時代の変化に対応でききれない親子もいるだろう。
時には、トンビが鷹を産むこともある。
逆もあるだろう。
例外もあって当然。
良い親に育てられて感謝する人は感謝すればいいし、
悪い親に育てられて嘆く人は、嘆けばいい。恨めばいい。
それで、自分が少しでも救われるなら、楽になるなら。
それぞれのコースをそれぞれに歩む。
途中でコース変更する場合もあるだろう。
編入ってやつ。
有名難関大学が最終学歴であっても、別の学校から編入している人もけっこういる。
大学院とか、すごく目を見張るようも、出身校は、そうでもない場合もある。
なにも、見栄えや、ミエをはって、聞こえのいい最終校を選んでいるのではないはず。
おそらく、自然にそうなっただけだろう。
(そういう方々のお話を伺うと、そう感じる)
見てくれよりも、内容重視。
中身の充実に努力していると、外側も変わってくる。
最初に外側からスタートし、あとで、中身を充実させる手もある。
順序はどっちにしても、最終的に、外側も中身も、充実できればそれでいい。
充実できなければ、少しでも充実に向かって努力するか、
あるいは、目標を中學數學補習変えるか、
あるいは、価値観を変える。
「すっぱいブドウ」と言われようがなんであろうが、自分を守ればいい。
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